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東京高等裁判所 昭和57年(う)28号 判決

被告人 岡崎政幸

昭二四・六・二八生 店員

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮八月に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人田辺幸雄作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官田代則春作成名義の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一について

所論に鑑み検討してみると、原判決は罪となるべき事実を次のように認定判示している。

「被告人は、昭和五六年六月一二日午前七時三〇分ころ、業務として大型貨物自動車を運転し、東京都江戸川区船堀三丁目六番先の信号機により交通整理の行なわれている交差点を信号に従つて金魚園通り方面から浦安街道方面に向かい時速約一〇キロメートルで左折進行するあたり、同交差点左折方向出口に横断歩道が設けられているので同横断歩道及びその付近の横断者の有無及びその動静に留意し、安全を確認して左折進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同交差点入口に設けられている横断歩道の左側端に信号待ちをして佇立していた歩行者の動静、及び交差点内に浦安街道方面から新大橋通り方面に向けて停止していた大型貨物自動車等に気をとられ、前記交差点左折方向出口に設けられている横断歩道の横断者の有無及びその安全を十分確認しないまま漫然前記速度で左折進行した過失により、おりから信号に従つて同横断歩道付近を左から右へ横断していた西塚朗(当時五〇年)運転の足踏式二輪自転車に気付かず、自車前部を同自転車に衝突させて同人を路上に転倒させた上、自車右側前輪で轢過し、よつて同人を頸椎、胸腔内損傷によりそのころ死亡するに至らせたものである。」

そして原審および当審取調べの関係証拠によると、(1)被告人は、本件交差点の金魚園通り側入口手前約四二メートル位の地点で前方交差点の対面信号に従い、先行車に続いて停止し、対面信号機の信号が青色にかわつたので、先行車に続いて発進し、約一〇キロメートル毎時の速度で進行し、右交差点入口手前の横断歩道の手前約八メートル余の地点で右横断歩道左端に佇立していた歩行者及び右交差点内に浦安街道方面から新大橋方面に向けて停止していた大型貨物自動車を発見し、左折に先立ち右にふくらんだ進路をとつたのち後述する〈4〉地点から左折を開始し、右歩行者を肉眼あるいはサイドミラーで見つつ後記衝突地点に至つたものであるが、右信号機の信号および右交差点左折方向出口に設けられていた横断歩道の歩行者用信号は、本件衝突時ともに青色を表示していたこと、(2)(証拠略)によれば、被告人車(車長一一・九七メートル、車幅二・四九メートルは)同車助手席左斜外側上部にアンダーミラー、左アンダーミラー、左サイドミラーが取りつけられているが、同車の運転席のほぼ左方延長線上から同車左斜後方にかけて大きな死角を帯有する車両であること、(3)(証拠略)によれば、被害者が自転車で原判示交差点左折方向出口の横断歩道に乗入れを開始する直前の時点において、被告人車は、原判示交差点入口手前に設けられた横断歩道から運転席が約二・五〇メートル交差点内に入り、同車左前端部が右交差点左折方向出口の横断歩道交差点側の線から約三メートル交差点内に入つた地点(六・一六実況見分調書添付見取図中〈1〉の地点=以下〈1〉「地点」という。)を走行中であり、被害者は右交差点左折方向出口の横断歩道の東側縁石歩道上で同横断歩道手前約〇・六メートル、同横断歩道の交差点側線から約一・三〇メートル南側の地点(六・一六実況見分調書添付見取図中〈ア〉地点=以下「〈ア〉地点」という。)にいたというのであり、(証拠略)を総合すると、右〈1〉地点の被告人車の運転席からは〈ア〉地点は死角となつて見えず、また右〈1〉地点から本件衝突地点(被害者が前記交差点左折方向出口の横断歩道を約三・七メートル入つた、同横断歩道交差点側線より約〇・七メートル交差点内に入つた地点=司法警察員片桐広和外二名作成の昭和五六年六月一二日付実況見分調書=以下「六・一二実況見分調書」という。=添付見取図中〈×〉地点)での被告人車の位置(六・一二実況見分調書添付見取図〈5〉地点=以下〈5〉地点という)の直前まで移動する間にも前記〈ア〉地点から衝突地点〈×〉まで進行する被害者及びその自転車は最初の間被告人車の死角に入り続け、次いでフロントガラスを通しては現認不可能であつて左アンダーミラーと運転席左側窓及びアンダーミラーを通しかろうじて現認し得るが進行を継続したままでは横断者の発見が極めて困難な状態にあり、原判決の「同横断歩道付近を左から右に横断していた西塚朗運転の足踏式二輪自転車に気付かず自車前部を同自転車に衝突させ、」との判示部分は、被告人車が進行している限り発見困難であつたため右の自転車に衝突するまで被告人が右の自転車の存在を全く意識していなかつた旨判示したものであることが認められること、(4)(証拠略)を総合すると、被告人車の運転席が右交差点入口手前の横断歩道の若干手前に至つた地点(六・一二実況見分調書添付見取図中〈4〉地点=以下「〈4〉地点」という。)からは前記〈ア〉地点のある歩道はフロントガラス及び運転席左側窓を通し可成りの距離まで見通すことが一応可能であり、浦安街道方向からきた被害者の自転車を被告人が右〈4〉地点から肉眼でとらえることは一応可能であつたことが認められる。

そうなつてくると原判決が、本件事故に関する被告人の過失につき、「・・・同交差点入口に設けられている横断歩道の左側端に信号待ちをして佇立していた歩行者の動静、及び交差点内に浦安街道方面から新大橋通り方面に向けて停止していた大型貨物自動車等に気をとられ、前記交差点左折方向出口に設けられている横断歩道の横断者の有無およびその安全を十分確認しないまま漫然前記速度で左折進行した過失により、」と判示しているのは、原判決が横断歩道手前で被告人車が一旦停止して横断者の確認をしなかつたことを過失の内容として判示していないことに鑑みれば、右交差点左折方向出口の横断歩道及びその付近の横断者の有無及びその動静を確認し得る地点たる〈4〉地点付近でこれを確認しないまま左折進行した点を本件事故における過失としてとらえているものと解するの外はない。

更に関係証拠を検討してみると、(5)右〈4〉地点から〈5〉地点までの直線距離は一一・四メートルであり、被告人車の時速が約一〇キロメートルであつたことからすると、被告人車はこの間を約四・一一秒より多少多めの時間で走行していることとなり、また前記〈1〉地点から〈5〉地点までの距離が約三メートルであるから、被告人車はその間約一秒余で走行していたこと、(6)一方被害者は、被告人車が〈1〉地点から〈5〉地点まで走行する前記約一秒余の時間に〈ア〉地点から衝突地点である〈×〉地点まで約四メートル位走行しているものであり、松田嘉正は被害者運転の自転車の速度は通常の早さであつたことを目撃していることからすると、被害者運転の自転車の速度は時速約一五キロメートル前後であつたと推認することができ、前記被告人車の速度との関係で被告人車が前記〈4〉地点にいた時点では、被害者は〈ア〉地点で一旦停止していないとすれば〈ア〉地点から約一三メートル前後はなれた〈ア〉地点より浦安街道方向の歩道上に居たこと、(7)右〈4〉地点及びそれをこえ被告人車の運転席が交差点に入る地点付近にまでくる間は歩道上の被害者を肉眼でとらえようとすれば可能であつたものの、その時点では被害者が本件横断歩道付近で横断をするか否かを予測することは困難であること、(8)加えて被告人車が、左折に先立ち右に進路をとつたのち前記〈4〉地点で左折をはじめ運転席が交差点入口手前の横断歩道を越えて交差点内に入る地点付近まで進行すると、〈ア〉地点付近の歩道上の見通しは前記死角との関係で悪くなるものであるところ、被告人は前記六・一二実況見分調書中の被告人の指示説明部分中及び司法警察員、検察官に対する各供述調書中で、被告人車が前記〈4〉地点の手前約八・六メートルくらいの地点まできたとき交差点入口手前の横断歩道左端部付近にいる歩行者や、交差点内に車首を新大橋通り方面に向け停車中の貨物自動車を認めハンドルを右に切つてふくらみ〈4〉点からハンドルを左に切りはじめ時速約一〇キロメートルで進行し〈5〉地点に至つた旨指示あるいは供述しているのであり、かかる歩行者や交差点内の自動車に対する注意を払つた具体的状況を考慮すると被告人車の運転席が交差点に入る地点付近に進行した時点においては本件横断歩道左側に接する歩道上を走行していた被害自転車を発見しようとしても発見し得なかつた可能性も十分ありうること、の各事実が認められる。

道路交通法は、自転車横断帯が設けられていない場合、自転車が道路を横断するに当り、横断歩道を利用することを容認しているものと解せられるところ、横断歩道に接近した車両は「横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者又は自転車があるときには、当該横断歩道等の直前で一時停止し、その通行を妨げないようにしなければならない」旨(同法三八条一項後段)定めているが、本件被告人車のように左側に大きい死角のある大型車両が左折に入つてしまうと、横断歩道の左端に接する歩道にいる歩行者や自転車が横断歩道を横断しようとしているかどうかを見ることは不可能ないしは走行したままでは著しく困難になるものである。そして、前述したところからすると本件被告人車の場合、横断歩道の左端に接する歩道が視界に入るのは、車両の前部が該横断歩道入口に至る二秒以上前の時点ということになるが、この二秒以上の間には横断歩道から二乃至三メートルはなれた歩道上にいる歩行者や七~八メートル以上はなれた歩道上等にいる自転車も、仮りに左折中の大型車を見ても、大型車の死角を知らない限り、歩行者用信号に従い横断歩道の横断を開始する可能性は十分あることになる(現に普通乗用自動車を運転していた前記松田嘉正の供述調書中には、被告人車が横断歩道手前で停止すると思つたのに停止せず被害者に衝突した旨の記載があるが、これは被告人車が前記〈1〉地点から衝突した〈×〉地点直前まで走行する間横断歩道の左半分が死角に入つていたことを松田が知らなかつたことの証左である。)。

そして、右道路交通法三八条の規定は歩行者用信号に従い横断歩道付近を横断する歩行者や自転車の安全を確保するための規定であるから、被告人車のごとく、左折の場合左方の死角の大きい大型車は、横断歩道左端の歩道の上を本件横断歩道方向に進行する歩行者や自転車があるかどうかを視認できる地点を通過する際、横断歩道左端及びこれに接する歩道上に歩行者や自転車等が存在するか否かに留意すべきであるが、その存在を視認し得ない場合にも、その後に自車の死角内で歩行者や自転車等が横断する可能性があること並びに横断歩道入口手前で横断歩道左端が死角の外に出、フロントガラス及び運転席左側窓、アンダーミラー及び左アンダーミラーを通して横断歩道全体の見える地点に至つて横断者を発見し制動しても、空走距離の関係で横断歩道手前では停止できないことがあることに思いをいたし、左側死角を消除し得る手段のある場合(例えば助手が乗つて左側に意を用いている車両)は格別、然らざる場合、被告人車でいえば運転台からフロントガラス、運転席左側窓、アンダーミラー及び左アンダーミラーを通し横断歩道全体が見える地点、つまり被告人車の前部左角が横断歩道入口手前約一メートル弱にきた地点(時速一〇キロメートルの場合通常の空走距離は約一・四ないし一・九メートル、制動距離は〇・五ないし〇・六メートルである。)で一時停止し、左アンダーミラーと運転席左側窓及びアンダーミラーを通して横断歩道またはその付近を左から右に横断する横断者の有無を確認して発進するのでなければ、左から右に歩行者用信号に従い横断する歩行者や自転車に衝突する可能性を消除することは不可能である。

そして、本件被告人は、本件横断歩道左側の歩道上を視認し得る地点で該歩道を十分透視していなかつたことは原判示のとおりであるが、被告人が透視可能な地点で本件横断歩道左側の歩道上を十分確認しなかつたとしても、被告人が前述の横断歩道手前の地点で停止し、運転席左側窓と左アンダーミラー及びアンダーミラーを通して横断歩道及びその付近を見れば被害者を発見し、本件衝突を回避し得たことは明白であるから、本件事故の直接の原因となる過失は、被告人が右横断歩道の手前で停止しなかつたことにあるというべきところ、前記死角の存在について証拠を調べながら死角と本件衝突との関連につき判断せず、起訴状記載の公訴事実通りの事実認定をした原判決は、本件致死の原因たる過失の内容について事実を誤認したものというべく、量刑不当の論旨につき判断するまでもなく破棄を免れない。以上説示したところに鑑みれば、予見可能性及び結果回避の可能性がない旨の所論及び信頼の原則を援用し審理不尽をいう所論は採用の限りではないが、事実誤認をいう点の論旨は結局理由がある。

そこで、刑訴法三九七条、三八二条により原判決を破棄し、当審において予備的に訴因が追加されたので、同法四〇〇条但書に則り、その訴因にかかる被告事件についてさらに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五六年六月一二日午前七時三〇分ころ、業務として大型貨物自動車を運転し、東京都江戸川区船堀三丁目六番先の信号機により交通整理の行われている交差点を信号に従つて金魚園通り方面から浦安街道方面に向かい時速約一〇キロメートルで左折進行し、同交差点左折方向出口に設けられている横断歩道を通過しようとしたが、同車は車体左方にいわゆる死角を有し、進行を継続したままでは右横断歩道を、左方から右方に向け横断しようとしている足踏式二輪自転車や歩行者を発見することが困難な状況にあつたので、右横断歩道手前で一旦停車し、同横断歩道を左から右に横断しようとする足踏式二輪自転車、歩行者等に対する安全を運転席左側窓、左アンダーミラー及びアンダーミラーで確認した上発進すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右横断歩道手前で、一時停止して安全を確認することなくそのまま進行した過失により、おりから信号に従つて前記交差点左折方向出口に設けられている横断歩道を左から右へ横断していた西塚朗(当時五〇年)運転の足踏式二輪自転車に気付かず、自車を同自転車に衝突させて同人を路上に転倒させた上、自車右側前輪で轢過し、よつて同人を頸椎、胸腔内損傷により即死するに至らせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で処断すべきところ、情状について検討してみるのに、本件は、被告人が大型貨物自動車を運転し、信号機により交通整理が行われている交差点を左折するにあたり、その交差点出口に設けられた横断歩道の手前で一時停止することなく、そのまま左折進行した過失により、右横断歩道付近を自転車で信号に従い横断中の被害者に自車を衝突させて死亡させた事案であり、その犯行の態様、結果等特に自車がその左側に帯有する大きな死角に対する十分な配慮を欠いた点被告人の運転方法に問題がありその結果も重大であること、被告人は過去業務上過失傷害の罪で二度罰金刑に処せられた前科があるほか、昭和五三年以降三度にわたり道路交通法違反(速度違反)の罪で罰金刑に処せられていることなどに鑑みると犯情は芳しくないが、他方本件衝突地点が横断歩道からはずれ交差点内に入つていることからして被害者の横断の仕方に問題がなかつたわけではないこと、本件横断歩道が江戸川区船堀一丁目八番先に設置されていたとすれば左折の折左側の死角の大きい大型車による本件類似の事故を減少させるに役立つと認められ、本件横断歩道の設置場所が必ずしも適切であつたと認められないこと、被告人が本件の非を反省し、自動車運転の仕事をやめ、再過なきを誓つていること、被害者の遺族との間で示談が成立し、被害者の妻が被告人を宥恕していることなど被告人にとつて有利な又は同情すべき諸事情も認められるので、これら被告人にとつて有利、不利な情状を総合勘案し、被告人を禁錮八月に処し、右情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予することとし、原審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文を適用し、全部これを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 時国康夫 下村幸雄 中野久利)

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